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遺書
☓☓年 4月1日
俺は今日この日まで医者という職業で、働いてきた。
これは....その「蜜美桃李」が後に残す言葉だ。
俺は身体が強い方ではなく、幼い頃から医者に世話になってきた。それは不幸などではない、暮らしの一部だった。
その暮らしの中で俺は、少しずつ、俺のようなものたち
つまり生きづらさを抱えているものたちを救いたいと考えるようになった。
自分自身が医者になり、そのような人たちの暮らしを補完したいと思っていく。
自分がそうされてきたように。
医者になるために必死で勉強に励んだ。それは全く苦ではなかった。幸せが、自分の望んだ未来が見えていた
それを掴むために、手を伸ばした。
幻だったのか?なれるはずだと、思って……いた。
いや……医者として生きる毎日は、非常にやりがいのあるものだった。なかなか難易度の高い困難もあったが、
それでも、仲間と共に働くこと、また感謝を受けることが、楽しかったのだ。
見返りを求めるばかりで働くわけではないがもちろん、患者に笑顔が見られると
それは嬉しいものだった。本当にいい日々だった。
だからこそ、俺は疲れが溜まっていることに気づかなかったのだろうか?
まさか、自分自身が眠れないということに気づいた時には、もう遅かった。
眠らないまま、医者として患者をみる。これでは医者としての顔が立たないと
私は休みを取ろうとしたがふと、患者たちの事が思い浮かび不安になる。
――彼らのことを俺が診ないで誰がみるというのだろう?
そうして、休まないまま、患者と接する日々が続いた。
「俺は医者だから、休まずしても問題ない。」
「休めていない時に、どうするのがいいかなんて、当然に心得ているだろう。」
その考えで俺は疲れも、我も、忘れていた。冷静でなかった。
やがて、ある患者の訃報が俺の元に届く。頭の中が真っ白になって、狼狽えた。
すぐにでもなにか処置をと思うのに、
今更、何もできないなど、
そんなこと、俺には信じられず、
耐えられなかった。
あの時、俺の中の何かが崩れた。
壊れた気がする。
俺は……俺は患者を殺してしまったのだ。患者の……暮らしを……壊して、しまった。
そこから暫く何も考えられなかった、ただただ、罪の意識と責任感がまとわりつき、酷く頭から離れない。
それでも仕事をしたくて、俺は払いのけるように、患者の知らないところで煙草と酒に溺れた。
とにかく忘れてしまいたかったんだ。
その時から、全てが変わってしまった。
表向き、俺は落ち着いていて、正しい、医者であろうとした。
しかし心の内側は焦って、まともでいられなかった。
あの頃の楽しい毎日はどこにも無かった。毎日が……毎日の全てに恐怖があった。
故に、俺はより酒と煙草にのめり込んでいった。
もう、殺したくない。
早くこの暮らしが終わらないものかと、気づけば願っていた。あの楽しい日々を渇望した。
戻ってくると信じて、働き続けた。
俺はその、酒と煙草が無いと生きられない暮らしにうんざりしていた。
到底それは、医者としてあるまじき姿だった。
これは最近の話だ。夏、意識が戻った時、動悸が激しく、俺は診察室で、床に倒れ込んでいた。
頭が誰かに殴られているように痛かった。
口の中は鉄の味がして、視界の中に朧げながら、自分が作ったであろう血溜まりが見えた。
世界が陽炎のようにゆらいで、蝉の鳴き声がこだまする。
――ああ、これ程までになってしまったのか。
俺は元々、体が弱い。
酒と煙草で壊した体、休まず働いたツケが、回ってきたのだと、その時、分かった。
いや、いつか壊れてしまうと、ずっと分かっていたのに、それらが、どうしてもやめられなかった。
俺に終わりが近づいているのを、感じていた。もっと沢山の患者をもっと
……もっと生きていたかった。
されど自業自得だ。それでも患者のために、俺は自分のことを笑えなかった。
本当に……ゆるされるべきではない。
それでも。もし本当に、終わりが来るなら。
俺にはひとつ、願いがある。
この身滅んだその先に、何かあるのなら。
天国か地獄かなど、どうでもいい、何処でだっていい、俺は、医者を続けたい。
ずっと楽になりたいと思っていたが、医者をやめることは考えられない。
俺は医者でなければ……存在していたって仕方がない。だから、それが、俺の……死後の夢になる。
死んだ先のことなんて、天国があるなんてあまり考えてもいなかったが、どうしたってここで終わりたくないんだ。
最後のお願いだ、神がいるのなら、聞き入れてくれ。
地獄でいいから……。
ここまで自分の言葉で思いや考えを綴ってきた。
最後に、これを読んだ君へ
今まで本当に迷惑をかけた。
それでも楽しかった日々は確かにあった。本当にありがとう。
俺は不幸などではない。
だから、俺のことを哀れまないでほしい。
大丈夫、大丈夫だ。俺はきっと、これからも沢山の患者を診ていくから。
あとは、よろしくお願いします。
終わりに
筆を置く。このくらいにしよう。
ついに、書いてしまった……。
遺書を書くなんて、それはここから居なくなることを、認めるようだ……。
いや、もしいなくなる時があるなら。その為に書いたんだ。
人間は誰しも死ぬ、よく分かっている。それでもきっとまだ、まだ生きられる。
そう思って立ち上がろうとした時、ぐらりと目眩がする。
膝に力が入らず、立ち上がったつもりがそのままベッドに倒れ込んだ。
視界がぼやけて、暗くなってゆく。そうだ、少し眠れば、良くなるだろう。
最期、ふわりと優しい気配に支えられるような感じと、白いもやが見えたような気がした。
蜜美桃李
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